箱根旅二日目/時を越えて、20年前の自分にエールを送ろう

箱根で迎える朝、早朝5時に目覚めました。

東向きの窓のカーテンを開けると山際がほんのり明るみ、太陽が昇ろうとしています。

晴天と黄砂が約束されてるのかな( ´∀` )

 

さて、活動開始です。

朝食までたっぷりありますので、昨夜は入れなかった大浴場へ行く事にします。

実は露天風呂大好き( ´∀` )

 

 

(・・残念な施設は全部、残念なのかしら?)

大浴場の帰り道、ボチボチと愚痴が零れる・・・

目隠しのバリアが貼ってあって、景観を楽しむような露天風呂では無かったです。

早朝の鳥の声と誰もいないお風呂を楽しんだ、と言うところで手打ちでしょうか。

 

朝食も残念も残念でしたねえ~、コスパ高過ぎ、箱根基準?

量少ない、品数少ない、サイドメニューは別料金。

何で、誰も反乱を起こさないんだ?

海外の人、この量で納得するの?日本人でも若い人・・いないかあ。

食事が良くないのは伝統なのかな?

 

 

 

朝から一日を台無しにする事は無い、気分良く出かけましょう。

気を取り直して、とりあえず出発

まずは登山電車に乗って、それから早雲山→大涌谷

着いてみると外国からの観光客が多くて、ここはハブ空港かって感じ。

山腹から煙が上がっていて、黒卵って言う温泉卵を売ってました。

お土産買う訳でもなく、見ているだけだと・・特に面白い事も無くムズムズして来ます。

「はい次!」

 

ガラスの森美術館、美しい庭園、美しいガラスの数々

ちょっとディズニー的な感じかな。

美術館は一棟だけだったみたいで、すぐにショップに行けます。

美術館と言うよりも、ショップに力を入れてるみたい。

 

実は以前私もヴェネチアに行ってます。

その時に、ヴェネチアングラスの妙は赤い色だと聞きました。

が、その赤い色は見当たりません。

日本人が好みそうなハーフトーンもの、現代的な美しいデザインのものが並んでいます。

一番奥の方ある赤いティーセットだけがヴェネチアングラスの赤でした。

それにヴェネチア作りましたよ。って保証される登録商標のついたものも箱根には無かった。

中央についているマークがヴェネチアで作りましたと保証してくれる印

 

「どこで作られたものなの?」

って聞いたら

イタリアと言っていたけれど、イタリアも広いのかあ。

 

さて本日の予定はクリア、時間は正午過ぎ。

このまま帰路についても良いのだけれど、手の中には箱根フリーパスが残っています。

ランチを食べても時間に余裕はあるでしょう。

なので、芦ノ湖の海賊船!

乗る事にしました。

 

遥々来たぜ、芦ノ湖。ふたたび乗るぞ海賊船

来ては見たけれど、海賊船乗り場は長蛇の列。

しかも、そのほとんどが外国の人、箱根は海外に占拠されてま~す。

帰ろうかな・・と思うと列が少し動く・・また動く。

 

そんな感じで割と早く海賊船に乗れました。

海賊船クイーン芦ノ湖

ゆっくりと船は動き出し、湖畔の景色が流れていきます。

緑の木々の中で桜が咲いています。

東山魁夷の絵を見ているかのような美しさ。

20年前に海賊船に乗った時は、全く理解出来ない美しさでした。

何が面白いの?と思いながら乗っていました。

だけど今は、解る。

対岸に見える赤い鳥居の意味も、分かる。

 

これが成長、これが人生かあ・・・

20年前の姦しさの末に、今一人でこうして旅をしている。

ある意味、人生の山、登ったなあ。

 

かつての私は旅立ちの準備をするヒーロー

思い返してみると、20年前の私は、種だったな

自分の事も、世界の事も、未来の事も何も知らなかった。

望みも能力も潜在していて未だ未知数。

平和な日常の繰り返しの中で、揉め事もあったけど平和に暮らしていました。

 

今の私には、20年前の私が見える。

彼女がこれから超えて行こうとする全ての道が見えます。

彼女が何を突破していくのか?

どんな孤独に耐えていくのか?

獲得する智慧、失う諸々、敵が倒れていく瞬間。

20年前の私は旅立つ前のヒーローかあ・・・

これから何が起きるのか?

危機を安全に交わすルートを教えてあげたい。

でも、知ってしまったら彼女は怯むかもしれない、怯えるかもしれない。

知らないからこそ、安全に超えて行ける危機もあると言う事か。

 

多分いくつかの分岐点の変更はあっても、彼女は私がいるこのポイントに来るでしょう。

自ら歩こうが、泣きながらだろうが彼女の道は変わらない。

彼女はベストを尽くすだろう。

なぜなら、彼女は自分の未来を信じているから。

そして、知らないという事で彼女は守られる。

湖面の波を見つめながら、ちょっとウルウルする。

不思議な時間のパラドックスの中に落ちたみたい。

今の私と過去の私がリンクして同時に生きている。

そして過去の私が、今の私を目指して歩き始める。

今の私も未来を信じて一歩を踏み出す。

無限のループが拡がる。

未来の私は、今の私をどう見つめるのか?

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

古の星の記憶を持つワンダラー、です。 地球人として生まれて来たけれど、どこかすれ違う人生でした( ´∀` ) 自我の目覚めはとても遅く、三人目の子どもの出産後でした。 子育てに迷ううちにスピリチュアルな道に入り込むようになり、最初に学んだことが<戦ってはならない>という事。 子どもが育つように、意識は成長し、その成長と共にいろいろな学びをしてきました。まずレイキを学びティーチャーまで進みました。 ヒーラーとしても活動しつつ、縁があってフラワーエッセンスを学ぶようになりました。あの頃はホワード七歩子さんも健在で、一緒に軽登山をしたり、ウエールズに行って、実際にバッチ博士の生家を訪れたりしました。 今にして思えば、最初に山の面白さを教えてくれたのは七歩子さんでした。 肉体を超えた領域に作用するフラワーエッセンスは、やがて波動や量子力学へと興味を広げてくれました。 そう言えばエッセンスの講座の最後の瞑想の時に、過去生の記憶がよみがえり、のちにメンターとなるヒプノセラピストにも繋いでもらったのでした。 スピリチュアルな世界に足を踏み入れて、割と早い時期に過去生の記憶は再生されていたのですが、それはトラウマ的なもので、思い出したはいいけれど、恐怖を呼び起こしてしまって、長い事未解決状態でした。 このヒプノセラピストとはたくさんの過去生を共有し、知らない自分を知っていく面白さ、不思議さ、哲学、宇宙の成り立ち、本当にたくさんの事を教えてもらいました。 あの経験があるから今があると言えます。ヒプノを受ける事で、実体験から次元を超えた情報の取り方、透視、etc 必要なことをみんな学ばせてもらえました。 後に分かる事ですが、このヒプノセラピストは過去生の盟友でした。 今回の人生で彼女が私を助けてくれたように、いつか違う次元、違う人生で、彼女がピンチの時は私が助けに行く、と思っています。 ちょっとヒプノの方に話が集中してしまいましたが、フラワーエッセンスも楽しい経験をいっぱいくれました。 結局3回、イギリスへ赴きました。レイラインに沿って旅をし足り、過去生にかかわる所を訪ねたり、勇気がありましたね私( ´∀` ) 他にも年に何回かエッセンスのワークショップをして、時に笑い時に真剣に語り合いました。サウイーンにちなんだワークショップでは少しだけ仮装をして集まりました( ´∀` ) 背中に羽を背負ってみたり、髪飾りを付けたり、杖を持ってみたり皆ノリノリです。 そして、あの風邪騒動の到来です。 あれも一つの転機で、人生が変わりました。 母を施設に送ったり、家族を看取ったり、私自身も目の手術をしました。 人生がゼロになったかのようでした。 諦めてしまいたい私と、生きようとする私の鬩ぎ合いが長く続きました。 生きながら死んでいるような私に近所の奥さんや、友人知人が少しづつ命を分けてくれて、息を吹き込んでくれてやっとこちら側に帰ってきた。 鬼滅の刃の主人公のようでしたよ( ´∀` ) 死を覗き込むようにして過ごした1年ちょっと、そして皆既月食の夜。 雲の合間で消えそうになりながら、また現れる月を見て、自身の再生を重ねました。 もう一度生き直すなら、何がしたい? やりたいことはやりつくして、特に無いんですよね・・・ それで、答えはあるような無いような、なのですが ヒプノを受けていたせいか、高次元からの情報を受け取るようになっていていたので、そういう事にかかわることがしたいと思いました。 高次元からの情報はアセンションや未来にかかわるものがほとんどでした 巷にたくさんある情報のほんの一欠けらで、今更感もあるでしょうが 受け取った情報を伝えていきたい、私の苦い経験、あがくような経験ももしかしたら、伝えれば誰かの役に立つかもしれない。 と思ってブログ、YouTube、そしてリーディングを始めることにしました。 私からの情報を必要としている人に届くと信じて発信します