伊勢/ 神の住処を訪ねる旅

先日、伊勢神宮へ参拝させていただきました。

今回で何年目かなア?

何時頃からか新年を迎えると、お札をいただきに上がるようになりました。

行くタイミングはカレンダーとは違って、春分を目安に伺っていました。

今年は、それに比べるとひと月早い参拝となったのですが、明け方の寒さをなめていました。

2月と3月では寒さが段違い。

氷点下の日の出前に家を出る事になったのです。

寒い寒い。

 

お伊勢参りの始まりは、決意した時から・・だそうです

駅までは徒歩。

街灯はついてますが、どこの家も眠ってます。

外を歩いている人影は、ほとんど無し。

夜明け前の薄暮ではなく真っ暗な夜の道、超寒い・

まるで胸が躍らない、こんなだったかなぁ。

とりあえず歩く

(何やってるんだろう私?)

これで良いのかな?ってちょっと不安になりました。

 

東京から新幹線に乗って名古屋行った♪さらに伊勢市へ行くよ。

電車に乗って、しばらくすると夜が明け始めました。

(全然ワクワクしない。)

東京駅に着いたけど、駅弁は買わない。

持ってきたクルミパンとスタバのほうじ茶ラテで朝ごはん、窓の外の景色が肴。

いつもなら、名古屋から近鉄に乗り換えだけれど、今回は引き続きJR

伊勢市には11時ちょっとに到着です。

『ご飯を食べてからゆっくりおいで』

内宮行のバスに乗ってしまったけれど、発車前に

(そうだ、下宮へ行くんだ!)

と思い出して、飛び降りて参拝。

内宮に着いたのは正午ちょっと前、

私の基本ポリシーとして参拝は午前中、もしくは正午に合わせてなんだけど

今回は・・・

『ご飯食べてからで良いよ』

(ほんとに?)

何回確認してもそうなので、一目散にご飯どころを目指しました。

朝からろくに食べていないので、実は空腹。

いつも行くお店は、ちゃんとあるかしら?

屋台をしり目に、人をかき分けてたどり着いたお店は健在、ホッとしました。

 

基本美味しいけど、ご飯が冷たかったのが悲しいランチ

ここは古い日本家屋の作りで、私の好きなとろろ汁のついたご膳があるわけ。

お席が窓際なら、五十鈴川を見下ろす事が出来ます。

すぐに席に通されて、注文。

他人様のご飯にかぶりつきたいくらいにお腹は空いてるけど

それは私だけの秘密よね( ´∀` )

白々しくスマホをいじってました。

 

準備は整いました、さあ神様の所へ行きましょう

食べ終わると良い感じに満腹になり、鳥居の向こうを目指す時です。

大きな鳥居が神々しい。

礼儀正しい日本人なので、みんな鳥居の前で一礼してます。

これが出来るのは関西の人たちに古来の礼法が伝えられているからでしょう。

関東は・・・出来ないんじゃない?

あんまり見かけない気がします。

私も一礼して、何度も通った道をもう一度なぞります。

もう感動の<か>の字も無くなって、ただ足を運んでいますが

初めてきた時には大感動でした。

渦を描くような参道を歩きながら涙が零れてきましたっけ。

記憶も無くした奥の方から浮かび上がる言葉。

(やっと、帰ってきました・・)

私の感動と、その感動が重なる感じです。

敢えて描写すると、卑弥呼の頃の巫女的な感じかなあ・・

それはそれとして、現実は現実としてサクサクと進むので

本宮で手を合わせ、お札を頂きお鈴を買ってまた鳥居を出ます。

特に奇跡的な事も起こらず、ごく普通の参拝が済みました。

 

私の次の目標は赤福のお店( ´∀` )

その手前に甘酒を飲ませてくれるお店があったので寄り道。

五十鈴川の畔の赤福屋さん、3年前よりは客数は少ないけれど、それでも充分繁盛。

赤福2つとほうじ茶で260円、良いじゃないですか。

あとは、バスに飛び乗る。

 

名古屋までが約2時間、名古屋から東京が約1時間40分。

結局、何時間電車の中にいたんだろう?

(・・・何やってんの私?)

帰り道で再び思いました。

善き春の訪れを期待します。

どっとはらい( ´∀` )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

古の星の記憶を持つワンダラー、です。 地球人として生まれて来たけれど、どこかすれ違う人生でした( ´∀` ) 自我の目覚めはとても遅く、三人目の子どもの出産後でした。 子育てに迷ううちにスピリチュアルな道に入り込むようになり、最初に学んだことが<戦ってはならない>という事。 子どもが育つように、意識は成長し、その成長と共にいろいろな学びをしてきました。まずレイキを学びティーチャーまで進みました。 ヒーラーとしても活動しつつ、縁があってフラワーエッセンスを学ぶようになりました。あの頃はホワード七歩子さんも健在で、一緒に軽登山をしたり、ウエールズに行って、実際にバッチ博士の生家を訪れたりしました。 今にして思えば、最初に山の面白さを教えてくれたのは七歩子さんでした。 肉体を超えた領域に作用するフラワーエッセンスは、やがて波動や量子力学へと興味を広げてくれました。 そう言えばエッセンスの講座の最後の瞑想の時に、過去生の記憶がよみがえり、のちにメンターとなるヒプノセラピストにも繋いでもらったのでした。 スピリチュアルな世界に足を踏み入れて、割と早い時期に過去生の記憶は再生されていたのですが、それはトラウマ的なもので、思い出したはいいけれど、恐怖を呼び起こしてしまって、長い事未解決状態でした。 このヒプノセラピストとはたくさんの過去生を共有し、知らない自分を知っていく面白さ、不思議さ、哲学、宇宙の成り立ち、本当にたくさんの事を教えてもらいました。 あの経験があるから今があると言えます。ヒプノを受ける事で、実体験から次元を超えた情報の取り方、透視、etc 必要なことをみんな学ばせてもらえました。 後に分かる事ですが、このヒプノセラピストは過去生の盟友でした。 今回の人生で彼女が私を助けてくれたように、いつか違う次元、違う人生で、彼女がピンチの時は私が助けに行く、と思っています。 ちょっとヒプノの方に話が集中してしまいましたが、フラワーエッセンスも楽しい経験をいっぱいくれました。 結局3回、イギリスへ赴きました。レイラインに沿って旅をし足り、過去生にかかわる所を訪ねたり、勇気がありましたね私( ´∀` ) 他にも年に何回かエッセンスのワークショップをして、時に笑い時に真剣に語り合いました。サウイーンにちなんだワークショップでは少しだけ仮装をして集まりました( ´∀` ) 背中に羽を背負ってみたり、髪飾りを付けたり、杖を持ってみたり皆ノリノリです。 そして、あの風邪騒動の到来です。 あれも一つの転機で、人生が変わりました。 母を施設に送ったり、家族を看取ったり、私自身も目の手術をしました。 人生がゼロになったかのようでした。 諦めてしまいたい私と、生きようとする私の鬩ぎ合いが長く続きました。 生きながら死んでいるような私に近所の奥さんや、友人知人が少しづつ命を分けてくれて、息を吹き込んでくれてやっとこちら側に帰ってきた。 鬼滅の刃の主人公のようでしたよ( ´∀` ) 死を覗き込むようにして過ごした1年ちょっと、そして皆既月食の夜。 雲の合間で消えそうになりながら、また現れる月を見て、自身の再生を重ねました。 もう一度生き直すなら、何がしたい? やりたいことはやりつくして、特に無いんですよね・・・ それで、答えはあるような無いような、なのですが ヒプノを受けていたせいか、高次元からの情報を受け取るようになっていていたので、そういう事にかかわることがしたいと思いました。 高次元からの情報はアセンションや未来にかかわるものがほとんどでした 巷にたくさんある情報のほんの一欠けらで、今更感もあるでしょうが 受け取った情報を伝えていきたい、私の苦い経験、あがくような経験ももしかしたら、伝えれば誰かの役に立つかもしれない。 と思ってブログ、YouTube、そしてリーディングを始めることにしました。 私からの情報を必要としている人に届くと信じて発信します