狐さんになりたい狸さんは、キツネさんになれない

道の歩き始めの頃、私は完全な白になる事を目指しました。

ネガティビティを一切内側に持たない事が霊的な高みに上ると言うことだと思っていたのです。

当然、ながらそんな事は凡人には無理です。

自然な流れとして、私は自分で否定した自身の闇の部分と向き合うと言う事が成長の課題として浮かび上がりました。

 

狸さんになりたい狐さんは、狸さんになれない。

もう10数年も前でしょうか?

あるワークショップで狸さんと狐さんの話が出ました。

狐さんと狸さんの話

大きな川を挟んで狸さんと、狐さんがいます。

狸さんは、狐さんが羨ましくて羨ましくて、何とか狐さんになりたいと願っていました。

川を渡って狐さんのところに行こうとするのですが、何度試しても対岸にはたどり着けません。

たどりついたと思って、一歩歩き始めると、そこはいつもの岸なのです。

振り返ると、やはり対岸には狐さんがいます。

狸さんは力尽きて、とうとう川を渡って狐さんの所へ行く事を諦めました。

もう自分は狸のままでいいやと思った、その途端にすでに狐さんになっている自分自身に気づきました。

どっとはらい!

 

行動するか、変容するかの二者択一?

それは座学で学んだことで、知識としてしか理解できませんでした。

でも、ずっとそれは頭の中にありました。

最近、あるメンターは

「突破しろ!突破して自身をを解放しろ」

と盛んに言っていました。

彼はメタファーとして言っていたのかしら?

真意は図れませんが、私はこう考えました。

突破しろ、と言うことは壁がある。

解放される、からにはどこかへ行くのだろう。

功を奏したのか、現実世界の柵が解かれ、解放される時が来ました。

国破れて山河あり・・・どうしよう?

けれども、私はどこへも行かなかったのです。

お誘いも無かったし、行きたいと思う場所も無かった。

ただ、突然の解放、自由、制限がない事に唖然としました。

「引っ越しが出来ると良いんだけどねえ」

残念そうな声で、メンターは言いました。

ちょっとムカッとしました。

この物質世界、出来る人もいれば、出来ない人もいるでしょう?ですよね。

こんな空虚な気持ちを味わうために、チャレンジしたわけじゃない!と思いましたよ。

どこかへ移動して、具体的に現実を変えるか、とどまってせいしんてきな変容を果たすか、なのだでしょうかねえ。

 

進化する意識の狭間で思う事・・たぶんどこまで行っても完全な白にはなれない

そして、私は夜明け前の薄暮の中で思う

人は進化や成長を望むけれど、それは違う自分になること出来ない。

欠点を無くす事も出来ない。

誰かが大人とは欠点を潰していくものだ。と言ったっけ。

うちの息子か・・彼には私が未熟者に見えるのだろう。

大人になっても、聖人になっても欠点は残るだろう。

ただ、長所と欠点 善と悪などの二極の振り幅が小さくできる。

それだけだろう。

 

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成長とは自分を丸ごと受け入れる事が出来るか・と言う問いかけ

成長とは進化とは、自分を白黒つけずに受け入れる事に違いない。

と最近は思うようになった。

たぶんどんなに成長しても、自分の内側で過去やトラウマや傷はうずくのだろう。

全く無かったことにはならないのだろう。

内側にそれを責める存在がいるか、受け入れる存在がいるか?違いを作るのはそれだろう。

否定した自分は深奥に潜み自分自身の攻撃に励む、外界からの攻撃を装って。

悪魔は一皮むけば、傷ついた自分の幼心かもしれない。

戦ってどうする?受け入れるのが一番だろう。

それとうまく折り合いをつけて、揺れる振り子のバランスを取る。

それがいわゆる成長の先にある、平安それなのかもしれない。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」